思い出の天皇賞(秋)

バレーブログでの連日の競馬の話ですみません。


さて、秋の天皇賞といえば個人的に一番の思い出は
106回天皇賞レッツゴーターキンです。




阪神での未勝利戦と500万条件戦の勝利をたまたま現場で観戦。
私は勝手にこの馬との運命を感じたのは、この時。
それ以降、この運命の彼レッツゴーターキンを追うことにしました。


その後に中日スポーツ賞4歳Sで2着となり、「1500万円ちょうど」という非常にずるい競走賞金で準オープンにも出走(笑)
血統的に距離が足らないのを解っていながら出走した嵐山Sと菊花賞は、きっと私がワクワクするであろうためだけにに走ってくれたのだと思う。


翌年、小倉大章典・中京記念・新潟大章典とローカルに出走を続けて、勝った天皇賞の前走も福島民報杯1着というまことにローカルな成績を引っさげて。
まさか中一週で天皇賞に登録してくるとは思わなかった。。。


106回天皇賞の私のフォーカス。今でもはっきりと覚えています。

ヤマニングローバルトウカイテイオーレッツゴーターキンナイスネイチャ
注ムービースター

デイリー杯3歳Sでぶっちぎってその能力をファンにまざまざと見せ付けながら、後に骨折をしクラシックを棒に振り、右足首にボルトを入れたまま走っていたヤマニングローバルは、G1を勝つならば秋の天皇賞だと思っていました。
そこにレッツゴーターキンを組み合わせて、馬連で667倍を500円。
本気で狙ってました。


直線、トウカイテイオーが内で止まって、ヤマニングローバルが抜け出して、外からレッツゴーターキンが飛んできたときには心臓が止まりそうでした。
生まれてはじめての万馬券。しかも30万強。


しかし一緒に飛んできたムービースターが2着に差してきて、夢は消えました。
タテは持ってねぇよ〜(泣)



でも若いころから応援(勝手にw)してきた彼が、しかも周囲が余り注目していない彼が(苦笑)、最高峰のレースに勝つなんて。
自分のことのように嬉しかった。
弱かったころのホークスも、弱かったころのJTマーヴェラスも、Jに上がる前の徳島(大塚製薬)も。
みんなこのような想いがご縁で応援するようになったのかもしれません。
時間はかかっても、いずれ強くなることを信じて。


レッツゴーターキンについては、↓に詳しくかかれているのでご参照。
http://www.retsuden.com/vol8-01.html
(煌く殊勲の向こう側「レッツゴーターキン列伝」)
成績は↓で。
http://csx.jp/~ahonoora/let's_go_turkin.html



「誰にでも輝きがある」
わたしはこれからも小さな輝きを探して、大きな夢を育てるお手伝い(応援しかできませんが)をしていこうと思います。